こんにちは、うえしゅうです。もう年末ですね。今年は早かった。
今から1年ほど前の2019年9月21日に行われた綾瀬大会秋2020で、僕はFMC19手という記録を出しAsRを取ることができました。その時のことは今でもよく覚えており、定期的に思い出したくなります。
今回はその時のことについて、解法、自分の心境、周りの反応など思い出せる限り書いていきたいと思います。
僕は元々FMCが得意でした。2013年にFMCを始め、2014年には入賞できるレベルになっており、2015年にはFMCでAsRを取るまでに成長していました。そして、2017年に2度目のFMC AsRを取ってからは2018年末まで一度も負けなしの一人勝ち状態になっていました。マリオで言ったらスター状態でゴールまで駆け抜ける感じです。
そして2019年に入り、3月にPlease Be Quiet Tokyo 2019というFMC meanが残せる大会があることを知ります。まあ普通にやれば優勝できるだろうという軽い気持ちでエントリーしたんですが、やっぱり大会に向けてきちんと練習しておいたほうが良いと思い、大会まで1、2週間くらいRami君と毎日FMCの練習をして完璧な状態で大会に臨みました。
そして大会当日。1試技目25手、2試技目29手と無難な感じで進め3試技目を迎えます。しかし3試技目のスクランブルがめちゃくちゃ難しくて、開始55分時点で何のスケルトンも見つかっていませんでした。さすがに焦り適当にOLLとPLLを回してギリギリで36手の解答を提出したんですが、これの影響でmeanは30.00と悪く、初めてRami君に負けてしまいました。
自分の中では結構練習したつもりだったのにこんな結果に終わってしまったのが凄くショックでFMCが嫌になり、その後FMCの練習をほとんどしなくなりました。4月から新社会人になり練習時間が取りにくくなったのもFMCをやらなくなった理由の一つです。
自分がFMCの練習をしていたのは確実に勝てるからであって、だからこそ負けたときにFMCに意味を見いだせなくなったんだろうと痛感しました。
2019年のCCKではFMCで結構いい成績を残せたのと同時に、とても悔しい思いの残る大会でした。
まず1試技目で開始20分で23手を見つけ即提出しました。僕が1時間フルに使わずに退出することはそうそうなかったので周りの競技者はちょっと驚いたんじゃないかと思います。この時もFMCにあまり面白みを感じていなかった時だったので、早く提出してみんなと遊びたいという気持ちですぐに提出してしまいました。
2試技目もやはり開始20分で24手が見つかり即退出します。この頃NRが25.67、AsRが23.67、WRが22.00だったので、3試技目30手でNR、24手でAsR、19手でWRという大大大チャンスでした。そして3試技目を迎えるんですが、絶対に記録を取らないといけないというプレッシャーが重くのしかかり、1つのルートに何十分も固執してしまい良い結果を出すことができず31手という記録に終わってしまいます。NRすら取れませんでした。
ちなみに3試技目の前の競技がMBLDで自分はジャッジだったんですが、前日あまり眠れておらずすごく眠かったので絶対に眠らないように競技者の記憶中ずっと「3試技目で19手を出してWRを取る」妄想を頭の中でしていました。この妄想が後に現実になるとは思いもしなかったでしょう……。
9月に行われる綾瀬大会でFMC meanが競技できることを知りエントリーしましたが、その時FMCにあまり興味を持っておらず練習もほとんどしませんでした。むしろこの時は5×5をめちゃくちゃ練習しており、絶対にavg sub60を出してやるといった気持ちの方が強かったです。
そして当日。
1試技目で26手を出して、そこそこの手数が出せたとホッとしました。
そして運命の2試技目です。先に解答を載せておきます。カッコ内はインバースであり、逆スクランブルをしてから解くと揃います。
Scramble: R' U' F L2 U L2 U2 F2 D' B2 L2 B' R2 U2 F U2 R D R F R2 D U R' U' F
Inverse Scramble: F' U R U' D' R2 F' R' D' R' U2 F' U2 R2 B L2 B2 D F2 U2 L2 U' L2 F' U R
(L F) // EO (2/2)
(U' B2 R' U' L) // 2 square (5/7)
(F2 R' U F2) // 222 (4/11)
(U' R U' R U) // more 221 (5/16)
(R2 U' B2) // Finish (3/19)
Final: B2 U R2 U' R' U R' U F2 U' R F2 L' U R B2 U F' L' (19moves)
2試技目が始まり、まず全軸のEOを書き出します。するとインバースのFB軸のEOが2手で揃いました。2手EOというのは20回くらいやって1回あるかないかといったラッキーなものです。EOは2ペアできるL Fを選びます。
次に白赤青ペアに着目し、白青エッジとくっつけるためにU' B2 Lとしました。しかしこの途中でできた白緑橙ペアが白センターとくっついてしまうのが良くないと思い、U' B2した後にR' U’と白橙エッジを入れる動きをしてからLすることで221を一気に2つ作りました。
この時点で3ペアあり結構簡単そうに見えます。次は一番221が作りやすそうな黄緑橙ペアに着目しR' U F2と回します。しかしこれだとすでにあるペアが2つとも崩れてしまうので、F2した後にR' U F2することで2つのペアを保存しました。
ここでもペアは2つありますが、U’するとさらにもう一つ黄赤緑ペアができます。多分僕は何も考えずに目の前のこのペアから221を作ろうと思ってR U' R Uと回しました。ここで僕は気づきます。これ、あと数手で揃うんじゃないか?と。今作った221をR2でくっつけ223にし、U面の123をU’でくっつけ緑面F2Lを完成させると最後B2ですべてが揃います。
この時点で開始5分くらい。一発解きで見つけた解法でしたが、あまりにあっさり見つかりすぎてスクランブル間違えたかな?と疑問に思いますがとりあえず手数を数えます。この時点では何かそこそこ短い解法ができたからPR更新したかもなーくらいの気持ちでした(PRはCCKでの23手)。そして自分の解答を1手ずつカウントしていくとなんと19手!意味がわかりません。何度も数えましたがやっぱり19手でした。スクランブルし直して改めて解いてみてもやっぱり19手。試技中声も出せないしリアクションもできないのでただただその場で頭を抱えていました。信じられません。
とりあえず解答を解答用紙に書いて3回ほど回してみて確認します。あとでこだま君に言われたんですが、僕はいつも解答用紙に書いたあと解答を3回確認するので19手が出た時は10回くらい確認するんじゃないかと思ってたけどやっぱり3回しか確認してなくて笑った、と言われて確かにと思いました。でもこの時はこの喜びを早く誰かに伝えたいという思いが強すぎて3回で確認を終えてしまったんですね。FMCの解答用紙って手数がわかりやすいように10手分毎に改行がされてるんですが、解答を書いたときに自分の解答が2行目で終わってしまったときの感動はもう二度と味わえないんじゃないかと思います。
そして開始10分を過ぎたあたりでもう良いだろうということで解答を提出しに行きました。この時解答を受け取って解答用紙を見た時の濱田さんの驚きようを僕は一生忘れないと思います。ちょっとだけガッツポーズをしながら提出してそのまま退出しました。
そもそも僕が短時間で退出することはほぼ無いと先程も言いましたが、10分で退出したのはこれが初めてでした。後から聞くと僕が10分で退出してしまったので会場の競技者みんな驚いてて、こだま君は僕が退出する姿を三度見したとか言ってましたし、Rami君は僕が退出したのを見てDRを使うのをやめようか考えたとか言ってた気がします。その時のざわつきようをあまり見れなかったのがちょっと残念です。僕が10分で退出するという事自体が解答を作る上でヒントになってしまったんじゃないかという懸念もありました。でも結局僕と同じ解答は誰も見つけられなかったので杞憂に終わりましたが。
メイン会場に帰ってきた時、メイン会場では5×5の試技が行われており観客席には数人しか座っていませんでした。観客席にいた人の中で唯一見知った顔だったのがしおさんだったので、しおさんに最初に19手の報告をしました。多分競技直後の僕の喜びようを知っているのはそのしおさんだけだったと思います。色々しおさんに説明するんですが、わけが分からなすぎてフラフラしたり床に倒れ込んだりしちゃってました。その時点で競技終了まで40分以上あったので、早く競技終わってみんなに19手出たことを言いたいってずっと思ってました。
競技が終わり競技者が帰ってきて、やっと19手の報告をすることができました。解答用紙を持ってJRCAに提出するための写真も撮ってもらいました。その時YRCCのポロシャツを着ていたので、YRCCの一員としてAsRを出したことを伝えられたのはとても嬉しく思いました。
FMC2試技目の直後が5×5だったんですが、19手の喜びが大きくて5×5 sub60を目指すプレッシャーが薄れていたので気負うこともなく試技ができ無事4試技目でavg sub60を確定させることができました。
また、FMC3試技目も無難に27手を出しmean 24.00でNRを大幅に更新できました。同じ試技で伏見君が23手を出していましたが、222までの解法が僕と全く同じでした。そこから僕はペアを保存しながら作っていったんですが、伏見はあえてペアを崩してCFOPチックに解いていっていたので僕には思いつかない解法だったなあと思います。もし僕がその23手を見つけていたらmean 22.67でこちらもAsRでしたので少し悔しい気持ちはありましたが、24.00で全然十分嬉しかったです。
20手というのは大きな壁でした。8年前の2012年に岡山友昭さんが当時のWRである20手を出して以来それを更新できる日本人は誰もいなく、いつしかこの20手は最も長い期間更新されていないNRとなっていました。岡山さんは時代を先取りしすぎていたのです。その頃僕はFMCのことを何も知らず、何かすごい人がすごい記録を出したんだなあという別世界の出来事としか思っていませんでした。
しかし僕はFMCを始め岡山さんの背中を追い続け、2015年にはmeanで岡山さんを超えて初めてNRを取ります。それはすぐに取り返されますが2017年にまた取り返しmean NRはずっと自分が持っていました。それでもsingle 20手というのは遠い遠い記録でした。家でも20手は1回か2回くらいしか出したことがないし、19手なんて一度も出たことがありませんでした。なので大会で19手を出した時は喜びと同時に「本当に僕が出してよかったんだろうか」と思いました。実力で出したんじゃなくて単なる運で出してしまったからです。年末ジャンボ宝くじで1等が当たるようなものです。
綾瀬大会以降は燃え尽き症候群でFMCをやることはほとんどなくなってしまったんですが、2020年になってRami君やたむそん君、そして新しく始めたkzy君やRkid君がsub25を連発して僕の実力を軽々と超えていくのを見て、自分も負けてられないと思いFMCに少しだけ復帰しました。今流行りのDRを取り入れ、手数は悪いですが少しずつ練習するようになります。自分の公式記録は実力以上のものが反映されてしまっているのでなんとも微妙な気持ちですが、いつかFMCの大会が開催されたらこの1年で強くなった色んな人が実力を発揮して僕の記録を超えていくのを期待しています。僕もNRが取られたらまたモチベが上がるかも知れないので。
「神」と呼ばれてしまった自分ですが、僕は自分を神だと全然思っていません。この1年で強くなったみんなが家でsub20を出しまくって大会でその実力を発揮し本当の「神」になるのを、僕は心から待ち望んでいます。