こんにちは、うえしゅうです。
時の流れは早いもので、キューブを始めてからもう13年が経ちました。その間に本当に色々なことがあり、色々なことを経験してきました。中学から始めて大学のキューブサークルに入り、大会で入賞するようになり、NR、AsR、アジア大会優勝・・・。そんな自分のキューブ半生を語っていきたいと思います。長文になりますが、少しだけお付き合いください。
僕が初めてキューブを解けるようになったのは2005年、小学6年生の時です。きっかけはあの伝説的な番組「記憶のチカラⅡ」です。この番組は記憶力の達人を紹介するような番組で、取り上げられた人のうちの一人が元3×3世界記録保持者のMackyこと牧角章太郎さんでした。
彼が12秒で解く姿を見て衝撃を受け、家になぜかあったツクダオリジナルのキューブとツクダ式の解法書を取り出して何日かかけて6面完成させることができました。そして解法を暗記しタイムを2分台まで縮めました。しかしそこから一向に速くならず「自分が頑張っても2分台が限界なのに、なんでMackyは12秒で揃えられるんだろう」と常々思っていました。結局Mackyは天才だからあんなに速く解けるんだろうという結論にいたり、特に調べたりすることはありませんでした。
ちなみに僕がこの記憶のチカラⅡを見ていたのには理由があります。当時僕は七田式という能力開発系の習い事をしており、そこでの紹介で記憶のチカラⅡの番宣番組に出させていただきました。確かフラッシュカードと呼ばれる単語の絵が書かれた30枚のボードを一枚ずつ見せられ、一回で全てを覚えきるという実演をして見事全部当てた記憶があります。その流れで本編もチェックしていました。もし僕がテレビに出ていなかったらキューブを始めていなかったかもしれないと考えると、人生は運だなあと思いますね。
時は流れ2007年、中学2年生の夏。夏休みに何かのイベントで友達と合宿に参加することになりました。知らない人も多く参加するということで、その時興味のあったトランプゲームをたくさん覚えてみんなで遊んだら楽しそうだと思い、近くの図書館までトランプゲームの本を借りに行きました。図書館で本を探していると、トランプの本と同じ棚にこの本が置いてありました。
「頭を鍛える ルービックキューブ 完全解析!」
この本にはツクダ式の他にLBL法(CFOP)の解説が載っており、「Mackyが使っていた解法はこれだったのか!」と衝撃を受け、トランプそっちのけでその本を借り、家で読み漁りました。これが僕のスピードキューブとの出会いです。
本には解法だけでなくスピードキューブのサイトの紹介も載っており、JRCA、JSCC(昔のキューブコミュニティ)、PLANET PUZZLEなどの存在をそこで知りました。また、大会の様子も載っており、キューブの大会が開催されていることを知って自分も速くなったら出てみようと決意しました。
色々なキューブのサイトを漁っていく中で、自分も情報発信してみたいと思うようになりました。そこで色々調べて作ったサイトがCubing Houseというサイトです。これを作る過程でHTMLやCSSといった技術を知り、プログラミングの存在を知りました。また当時3Dのキューブをサイト上で動かすJavaアプレットがあったのですが、UIがめちゃくちゃ使いづらくどうにか自分で改善できないかと思いJavaについていろいろ調べていました。結局Javaは理解できずに終わってしまったのですが、この頃からプログラミングに興味を持ち将来はプログラミングを仕事にできたら良いなと思うようになりました。
JRCAの定例会に初参加したのもこの年でした。確か若松河田でやっていたと思います。初めてキューバーに会うのに一人で行くのは怖いということで、友達を連れて参加しました。その会にウエさんとしゅうさん(しゅうむらさん)がいて、うえしゅうという名前だと見分けつかなくなっちゃうみたいな話をしていた記憶があります。また、当時運営だったずんこさんに話しかけられて4×4勝負してみないかと言われましたが、4は時間かかりすぎるからと遠慮させていただきました。この頃から僕は人見知りで、ほとんど誰とも話さずに雰囲気だけ味わって帰ってきました。
2008年になり、F2LやOLL、PLLもマスターして20秒が切れるくらいになった頃、初めて大会に出場してみました。5月5日の柏大会です。開会式や試技の動画は親が撮影してくれており、開会式での郡司さんの「柏餅は食べましたか~?」も録画されていました。
大会の勝手もわからず挑んだ初試技ですが、なんと人生PBの14秒を出してしまいました!平均も16秒と、この時でのほぼPBレベルの実力が出せてしまいました。準決勝でもそこそこのタイムを出し、初出場で決勝まで進めました。また、この大会でもやっぱり人見知りで誰とも話せませんでしたが、唯一ていきーが話しかけてきてくれたのを覚えています。ていきーもこの大会が初出場でしたが、コミュ力があってすごいなあと思っていました。
ここから大学入学の2012年までは大体1年に1回くらいのペースで大会に出ていく事になります。
2009年にはTwitterを始め、その頃の有名なキューバーをフォローしていました。この年辺りからTwitterのキューブ界隈が盛んになってきます。ただ僕は人見知りのためバーチャルのその輪にすら入れず、一人寂しくツイートをしていました。
この頃は大会やTwitterでのキューブ界隈に自分も入って楽しみたいとずっと思っていました。しかし既に構築されきっている輪には近づきづらく、大会でもほとんど誰とも話せませんでした。特に2009年の関東定例大会に参加した時は、予選であんまり良いタイムが出なかったのと待ち時間に誰とも話せず一人ぼっちで会場にいるのが辛すぎて、予選の結果を見ずに途中で大会を抜けて帰ってきました。また2010年のリスモカップではキューバーに話しかけるネタを作ろうと自分の名刺を刷ってキューバーの方々に配って周りました。しかしそれ以上に話す事もできなく、昼ご飯のコンビニ飯を近くの道路のガードレールに座って一人で食べていたのを思い出します。
この頃から、自分からキューバーに話しかける事は無理なので自分が入賞できるくらい速くなればみんなから話しかけてもらえるんじゃないかと思うようになり、今まで以上に練習をするようになりました。
ちなみに2010年当時の自分の家での記録がブログに残っています。2009年12月には16秒くらいでしたが、2010年2月には13秒まで伸びておりたくさん練習していたのがわかります。キューブをメガハウスのSCKからType C(I)に変えたのもこの頃です。
キューバーの誰とも話せないと嘆きながらも大会や定例会、オフ会には頻繁に参加していました。新宿御苑でのオフ会に参加した時に、同じく参加していた佐島さんに色々アドバイスしていただいた事で、佐島さんのいる筑波大学のキューブサークルに入ってみたいと思うようになりました。キューブサークルに入ればコミュ力の無い自分もキューブの知り合いが作れるんじゃないかと思った事も理由の一つです。
2011年の春、受験期前の最後の大会として松戸大会春に出場しました。この日もどうせ誰とも話せないだろうと思っていましたが、会場前にいた当時初出場のヤッシー君に話しかけた事がきっかけで大会中一緒にいる事になりました。あとかなひーさんともお話しした記憶があります。記録自体は良くも悪くもなかったですが、キューバーと交流した大会はこれが初めてだったのでとても印象深い大会でした。
ここから1年は受験のためキューブにほとんど触れていません。今まで欠かさずやっていたJapan Contest(tribox Contestの前身)もスッパリやらなくなっています。Twitterもやめてましたが、たまに浮上してたみたいです。
そして合格。
勉強の甲斐あって第一志望の筑波大学に入学できました。つくばは家から離れていたので初めての一人暮らしでもありました。
サークルの新歓が始まる中、真っ先にキューブサークルの活動に向かうと既に新入生が教室でキューブを回していました。彼はその後入部するかいたに君で、受験期にキューブを始めセンター試験の会場でPLLを覚え切ったというよくわからない奴でした。同じ新入生でキューブをやっている人がいたのは凄く嬉しかったです。
佐島さんはじめ先輩方も皆さん優しかったです。特に佐島さんと同期の丹野さんという方は、Japan Contestの片手部門で毎週1位を取っていたタマゴッチ3世という謎の人物の正体という事が判明(佐島さんも知らなかったらしい)。この後つくばのキューブサークルが片手サークルと呼ばれるようになった所以ですね。
大会でも佐島さんと一緒に行動していたおかげで話しかけられる事が多くなり、キューブサークルに入って良かったとつくづく思いました。
そんな中、8月の関東定例会で小澤君という人に会いました。彼は僕と同級生だった事もあり、定例会中ずっと一緒に話してました。その数日後に関東大会があり、この時も一緒に行動していました。今までずっと大会中一人だった僕にとって、一緒に行動できる人がいるというのはとても幸せに感じました。彼には今でも感謝しています。
ちなみに小澤君は定例会でBLDを学びたいとの事だったのでその時メジャーだったM2+COCPを教えてあげました。するとその2ヶ月後くらいには1分前半くらいのタイムを出しており、さらにその2ヶ月後にはsub60を連発するまでになっていて非常にびっくりしました。BLDってやっぱり才能なんだな、と思ったのもこの時です。
この頃僕は基本的にBLDの人と思われていたそうです。大学に入ったあたりから自分の個人サイトでBLD選手権を毎週開催しており、自身もBLDや多分割BLDを中心に練習していました。当時BLDはsub120したら入賞できるくらいのレベルだったので、90秒くらいの自分はそこそこBLDができる人と思われていたのでしょう。2012年のCCKで4BLD初成功、2013年のCCKで5BLD初成功していたので、今思えば全種目制覇するために早めに多分割BLD系を成功させておいて良かったなと思います。今ではやる気のかけらも残ってないので。
2013年初め頃から京大のたく君といーいー君とTwitterで会話を交わすようになりました。この頃同期のキューバーはあまりTwitterにいなかったので、同期ツイッタラーは結構貴重でした。
CubeVoyageが始まったのもこの年です。2012年のCCKでHATAMURA君から一緒にキューブのポータルサイトを作らないかと声をかけられていたのですが、準備に時間がかかり公開はこの年の5月頃でした。コンテンツ担当はHATAMURA、サイト運営担当は僕の2人体制で動いており、時々僕自身も得意分野の記事を書いたりしていました。自分の書いたBLDのM2法解説やステッカー分析のやり方は今の色々なBLDerに使われてきたそうでとても光栄です。自分ではあんまりわかりやすくはないと思ってますが…
serisuza君と知り合ったのもこの年でした。元々昔の記録を見るのが好きで、僕がキューブを始める以前にserisuza君がNRを持っていたのは知っていたのですが、大会で初めて話して実は同い年だったということでかなり驚きました。その後の大会でもよく話すようになります。93年度の同期キューバーは本当に強い人が多くて、ゆうむ君、Yuuki君、HATAMURA君などなどたくさんいます。同期キューバーが多かったのも僕がこの界隈に溶け込めた一つの要因だと思っています。
2014年になると大会でsub11を出せることが多くなり入賞回数も格段に増えていきました。またこの頃は中島さんやゆうむ君がキューブを引退したり伏見君がキューブをお休みしていたりと今まで強かった方達が大会に参加していなかったので、今まで決勝で下位の方だった僕レベルの人達が入賞できたという側面もあります。
この年にはなんと日本でアジア大会が開かれました。このアジア大会の日程は大学の学園祭と丸かぶりしており学園祭にはキューブサークルが出店予定だったので大変悩みましたが、なんとかシフトを削ってもらって大会に参加することができました。この頃にはFMCが入賞できるレベルまで実力が上がっており、アジア大会では岡山さんに次いで2位入賞ができました。しかし学園祭の関係で表彰式には出れなかったのが残念です…。
2015年の頭には初のFMCオンリー大会が開かれ、そこでなんとなんとmean AsRを出すことができました!それまで記録とは無縁の世界だったので自分がNRを取れるなど想像もしていませんでした。キューブを始めてかれこれ8年…、続けていれば何か変わるものですね。ちなみにこの前日は全く寝付けず徹夜で挑んだので試技中も試技後のご飯のときもめちゃくちゃ眠くて倒れそうでした。
この年のキューブサークルはとても盛況で新入生が5人も入ってきてくれました。その中でもおちゃーさんという方は院の新入生で僕より年上だったんですが、とても面白い方で見学初日から長々と話し込むほどでした。多分僕の見る限りYuuki君と同じくらいコミュ力おばけで、おちゃーさんがサークルにいるだけで場が盛り上がっていました。それからというものの週の半分はおちゃーさん家に転がり込んで毎日朝までキューブしたりおしゃべりしたりといった感じで、とても楽しい時間でした (おちゃーさんには迷惑かけてたかもしれません、すみませんm(_ _)m) 。
この頃クロックに一時期ハマっていたのもおちゃーさんが原因です。共同購入の時におちゃーさんがクロックを買いたいということでせっかくだし自分も買ってみようと思い購入しました。届いて2人で測っていたら、タイムはすぐ縮まるし2人とも割と拮抗して競えるしということでハマってしまい1ヶ月ほどおちゃーさん家でクロックばっかやってました。その影響なのかなんなのか、おちゃーさんは僕以上にクロックにハマってしまい、クロックを5個くらい買って分解して組み合わせて最高のクロックを作ったりギアをウレタン加工?して滑りにくくしたりと僕には理解できない方向にどんどん進んでいってしまいました。
YY君と知り合ったのもこの年でしたね。元々Twitterで交流は少しあったんですがリアルで会ったのはこの年の早稲田頭脳戦が初めてでした。少し前からBLDを始めていて成長スピードが速く、頭脳戦での初MBLDで入賞した時はとても驚きました。この頃は今後NRを量産したり日本大会でBLD系全優勝するとは思ってもみなかったですね。ちなみにYY君も同い年キューバーの一人で、その後の大会でもよく話すようになりました。こうやってどんどん知り合いが増えていくのはとても楽しかったです。
2016年の初め辺りに人生で初めてスクエア1を練習し始めました。この頃アジア大会スクエア1 3位の肩書を持つYuuki君が友だちを集めてスクエア1会を開いてよくTwitterに画像を投稿しているのを見ていて、自分がそこに入れないのが悔しくて猛烈に練習し始めたのがきっかけです。ちょうどこの頃初の競技用スクエア1であるQiYi Square-1が発売されたのでタイミングも良かったです。2ヶ月かけて成形とEPを覚え込みなんとか公式平均sub20を達成しました。そしてその頃にはもう誰もスクエア1をやっている人はいなく、スクエア1会に参加することはありませんでした。
2016年は他の年に比べて記憶がものすごく薄いので次にいきます。もしかしたらキューブに飽きてた時期だったのかもしれません。
2017年はなんといっても2度目のFMC mean AsRです。前回のAsRは1ヶ月で岡山さんに抜かれてしまっていていつか取り返したいとずっと思っていました。この頃には25~27手を出すことが多くなっていて、このAsRでも25, 26, 26と安定して良い記録を出すことができとても満足のいく大会でした。この前日は会場近くのRami君の実家に泊まらせていただいたんですが、そのおかげか前回とは違いぐっすり眠れて朝ごはんもたっぷり食べたので万全の状態で臨むことができ、Rami君にはとても感謝しています。
AsRを出した一方で、この年は大学院2年の年で大会の期間は就活真っ最中。何をやってもだめで祈られまくっていた時期でした。AsRという喜びはあったものの現実を見ると先の見えない地獄が待っていました。結局10月になって秋学期が始まっても内定は頂けず、そのプレッシャーの中で研究にも身が入らず大学に行かずに引きこもる毎日になっていました。そんな中大学の友人にドライブに誘われ今の状況を話したところ、留年して来年もう一度頑張る事を勧められ、留年を決意し来年のための準備を始めることとなりました。
キューブの話に戻り、この年の初め辺りに与野ルービックキューブサークルが誕生し僕も何度か参加するようになりました。与野は実家から近いので遊びに行きやすく大変助かりました。そこで会ったのがくさなぎ君です。その少し前にTwitterでスクエア1が25秒くらいのそこそこ速い人がいると知り、YRCCに誘ってみたところ快く来てくれて色々お話しました。くさなぎ君は独学でスクエア1を練習していたらしく、解法がCP -> EPではなく上の面のPLL -> 下の面のPLLというわけのわからない解法だったのでそれを矯正したりペア保存など基本的なことを教えてあげました。そこからの成長は皆さんも知る通り凄まじく、半年もたたないうちに僕のタイムを抜き今では日本トップレベルまで上り詰めました。くさなぎ君とはこれ以降よく連絡を取るようになるんですが、CP -> EPじゃなくてEP -> CPで解くと手数が減ることがあるとか、PBLっていうCP + EPを同時に解く技術があるとか僕が仕入れた情報を提供すると瞬く間に実践に取り入れて使いこなすので本当に驚いています。くさなぎ君の家に行った時に既存のプログラムを改造してoptimalの回しやすいPBLを見つけてくれるPBL Finderを作ってあげると、自分で色々PBLを作ってしかもそれを全部覚えてしまいました。僕的にはスクエア1の情報を教えたのは僕なので僕が育てたって言いたいところですが、多分認めてくれないし速くなったのはくさなぎ君のスキルが高かったからなのでこれは言わないことにします。
Rami君とくさなぎ君は知り合ってから今までよく遊んだりしてくれて凄い感謝の気持ちが大きいです。こういう出会いがあるのも自分がキューブを続けていたからに他ならないので、ずっとやってきてよかったなと思います。
前年に留年と上半期の休学を決意し休学中に学費を稼ぐためのバイトと就活を並行して頑張る予定だったのですが、1月2月は人生から逃げてばかりで現実逃避に毎日150回メガミンクスを練習していました。多分この辺りからだと思うんですが、Rami君と同じ競技を練習して競い合うことが多くなりました。タイム帯が似通っていて対決してると勝ったり負けたりを繰り返すので凄い楽しいんですよね。この年はメガ、6、7、次の年には5を一緒にやったりしてました。
その後無事にバイトが決まり働きながら就活を続け、8月には晴れて内定を頂くことになりました。この時ちょうどCCKの1日目の夜で、みんなとキューブを回していたら内定の電話がかかってきてめちゃくちゃ喜んだのを覚えています。CCKの1週間後には台湾のアジア大会が控えていたので本当にギリギリのタイミングでした。
台湾のアジア大会では本当に全てがうまくいきました。前年のAsRからこれまで一度もFMCで負けなしが続いていてこの調子ならアジア大会でも勝てるかもしれないと思い、他の競技に力を入れていなかったこともあって3とFMCにしかエントリーしていませんでした。初の国際大会なので海外キューバーとの交流時間をたくさん作りたかったという理由もあります。FMCでは2試技目までで1位のWong Chong Wenと5手差をつけられ2位に位置しており、普通に考えて優勝は絶望的でした。まあでも入賞はできるだろうと思い3試技目に臨むと自分の中で完璧な解法が作れPRタイの24手を出せました。試技が終わりChong Wenの隣りに座っていたRami君にChong Wenの手数を聞くと、DNFしてるっぽいと言われ呆然としてしまいました。その後Chong Wen本人に聞くと多分DNFで合ってても32手だと言われ、その時点でほぼ優勝が確定し嬉しさがこみ上げてきました。これも今までの積み重ねのおかげです。キューブを始めて11年、アジアのトップを取るまで本当に長かったです。
記憶が曖昧ですがこの年か前年から大人キューブ会にも参加するようになりました。大会やオフ会で会う人とはまた違った大人の方々が多くいらして、大会では出会えないような方と交流できるのはとても有意義でした。YRCCや大人キューブ会みたいなキューブの集まりに僕が顔を出す理由はイベントが好きという理由以外にもあって、それは自分の人脈を増やしたいという理由です。僕は元々コミュニケーションが得意な方ではないので大会だといつも同じ人としか話すことができません。ですがこういうオフ会みたいなキューブの集まりは大会とは違い交流が目的の集まりなので交流もしやすく、ここで知り合っておけば大会で話せる人が増えることになるので僕としてはこうやってどんどん人脈の輪を広げていきたいと思っています。
2019年には大学院を卒業し、新社会人となりました。修論が死ぬほどきつくて前年の日本大会をキャンセルして執筆を頑張るも誘惑に負けて2日目だけ見学に行ったのはまた別の話。
社会人になるまでは社会人がどれだけ忙しいものなのかわからずキューブも辞めてしまうんじゃないかと思っていました。しかし自分が思っていたよりキューブの時間は作れ、家に帰るとずっとキューブを回しておりなんなら学生の時よりもキューブ三昧だったかもしれません。つくばから実家の東京に戻ってきたので休日は毎週のように大会やオフ会、キューバーの友達と遊びに行ったりしていました。5×5 平均sub60や4×4 平均sub32、FMC単発19手AsRなど練習した分だけ記録もついてきて、本当にこの1年はキューブについて充実した1年だったなあと改めて思います。
初めて世界大会にも行きましたね。社会人は金はあるが時間はないと言われていますが、なんとか休みを取ることができたので初参戦です。結果は特には奮いませんでしたが、今までYouTubeなどで一方的にしか知らなかった海外キューバーとお話ししたり写真を撮ったりとすごく楽しい4日間でした。
この年に幸地君と知り合いました。最近キューブを始めた同い年キューバーで、この頃同い年キューバーが就職でどんどんキューブを辞めて年下の人と関わることが多くなった中でタメ口で話せるキューバーは貴重でとても嬉しかったです。キューブ始めて1年も経たないうちに運営の中核メンバーに入って頑張っていたのには普通に驚きました。このコロナ禍でもずっとキューブ続けてるみたいでまだまだ伸びてほしいなと思います。
僕がキューブを始めたのは13年前なので、そこから今までの出来事を一つ一つ思い出すのも一苦労でした。これ以外にもあったことや書きたいことは山のようにあるのですが、とりあえず今回は僕の内面、人との関わりについて中心に書いてみました。
今までを振り返って、最後に伝えたいことが一つあります。
僕は元々人と関わるのが苦手なタイプでコミュニケーションを取るのにいつも苦労していました。だからキューバーの知り合いができるまで5年もかかってしまいました。でも、その間もずっとキューブは好きで、続けた事で色んな人と関われるようになりました。
ルービックキューブをやっている人の中で、キューブ友達が欲しいけど大会やオフ会でなかなか話しかけられない人はいると思います。そういう人に自分ができるアドバイスは「続ける事」です。スピードキューブを続ける、大会やオフ会に参加し続ける、Twitterで発信し続ける…。何事も続けていれば変化は起こるものです。いつか話しかけてくれる人がいるかもしれません。もし知り合いが一人でもできたらしめたものです。そこから連なるように知り合いが増えるでしょう。
僕もキューブを始めた時や一人で練習をしていた高校生の頃はこんな風になるとは思っても見ませんでした。僕が今こうやって色んな人と関わりながら楽しくキューブができているのは続けていたからに他なりません。もし本当にキューブが好きなのであればとりあえず続けてみましょう。
それだけです。
皆のキューブ人生に幸あらんことを。